2020年10月18日

「顔」といえる存在について 5094

決算特別委員会・総務局審査の録画中継がアップされました。よろしければご覧ください。https://gikaichukei.city.yokohama.lg.jp/g07_Video_Search.asp?Sflg=102&giin1=%8Ds%93c%92%A9%90m,%8Ds%93c%81%40%92%A9%90m

「顔」と言える存在があります。会社の顔、チームの顔、党の顔、業界の顔等々。昨朝の打ち合わせにも「顔」の方が。立場がそうさせる場合もありますが、日々の発言、行動、振舞など、自然に周りが「顔」と認めていくものかと思います。

先日、日経新聞「サッカー人として」に、元日本代表、横浜FCの三浦知良選手が「枠の中にとどまるな」と題して綴っていました。

「日本代表にはその時々で「顔」といえる存在がいた。勝っても負けても、その人がひも付けられて語られる人。裏返せば、代表のすべてを一身に受け止められる選手ということになる。

サッカーのスキルに優れるのは当然として、サッカー以外での独特なパーソナリティーも加わらないと「顔」にはなれない。周りの平均的なものとは違う何か、ある種の変態性だね。

かつて石塚啓次という選手がヴェルディ川崎(現東京V)の新人時代、ヒーローインタビューを受けた。「いや、よく分かんない」「僕を試合に出したら優勝できますんで」。これが今、まねすべきでない例としてJリーグ新人研修会で引き合いに出されるらしい。

確かに褒められない受け答えかもしれないけど、彼は彼なりの言葉で勝負をかけてもいたはず。「これはダメ」と列挙するだけだと、人の個性はどうしても枠の中にとどまるものになりがち。発言もみな同じ、無難だけど響かない、顔の見えないものになっていく。

「俺を代えられるのは俺だけだ」。20代前半の代表選手なのに当時のオフト監督に豪語したのは、かつての僕。"悪い例"だろうね。そんな逸話を世代別代表である横浜FCの若手にすると、「僕はまだそう言える自信はないです」とうらやましがる。僕にはそれだけの覚悟があったし、結果で役割にも応えた。口先だけではないと示すんだ、これも戦いだ、と自分へ矛先を向けていたのだと思う。

僕が不祥事を起こせば、僕個人がすべての責任をかぶるべきで、クラブは管理責任など考えなくていい。自分はそうとらえてきた。プロは契約での個人事業主で、言動すべての責任は自らが負うのがプロだからだ。今はどのクラブもしっかりしている。選手管理のルールが整っている。その分、人間性を許容する「枠」は昔より狭いのかもね。

代表に初招集された頃、当時の横山謙三監督に呼び出された。「俺のやり方に従ってもらう」とすごまれる。僕は盾突く。「従いますけど、異議があるときは言わせてもらいます。黙ってはいません」。2時間の応酬。ただ、今に至るまで横山さんと固い信頼関係があるのも、真剣にぶつかり合えたから。

こう考えると、監督や上司なるものは大変ですね。」

ハッキリと目的・目標を見定めて、常に前を見ているカズさんの言葉には、不純物がないように感じます。「顔」となる人は集団全体を代表する存在。立場だけではない、「何か」をもつ存在だと思います。

その奥底には、「真剣」「誠実」「信頼」があるように感じます。

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posted by 横浜市会議員 行田朝仁 (ぎょうた ともひと) at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする