また、「時間が経ち、実際に移行して、段々高齢者のための制度だということがわかってきました」との主旨の声も多数耳にします。細かいところで修正が必要なところも出てくる可能性もあるでしょうが、(自身の損得のために騒ぎたい方々を除き)大騒ぎになるようなこともなく、概ね問題なく運用されています。
「やめろ」「姥捨て山」と言っていた方々からは未だ対案が出されていませんが、このまま終わってはならないように感じます。社会保障制度を醜い商売のタネ、政争の具にした罪は重大です。
日本に漂う閉塞感は景気だけが原因ではありません。人とのかかわりの希薄化や、政治、社会等との信頼関係の問題もあります。しかし、一部マスコミが恣意的に煽り、作ってしまった社会の不信感、閉塞感というものは、国益からして極めて重大な問題です。それに乗った政治屋も少なくありません。
今となって「誤まった情報だった」「誇大表現」「ガセネタだった」といことがわかっても、何食わぬ顔でその修正も謝罪もない。政策ではなく、足をすくい上げる策に頭を悩ます。不安を植えつけられた方々への責任をどう取るのか。「・・・そうだ。」「・・・らしい。」という主体性のない、無責任な論調で不安をあおり、繰り返してきた責任。果たして彼らに言論の自由が許されるのか、甚だ疑問です。一方で政争の具にして社会を混乱させる。その求められる役割からして、これは罪だと思います。
制度については、事前に発見できなかった制度の問題があるなら、誤りを認め、迅速に修正することです。完璧のつもりでも、必要に応じて様々な角度から意見を頂いて修正をしていくことも大事な姿勢です。当然のことではありますが、行政が説明責任をきっちり果たしていくことこそ、今回の教訓です。そして、政治屋と政治家の違いを見極めていく機会でもあったと思います。
※その他のブログ、プロフィール等はhttp://www.gyota.com


